ナイチンゲールの教えを引き継いで…
東京慈恵会医科大学の学祖・高木兼寛は、留学先の英国セントトーマス病院でナイチンゲールの看護を目の当たりにし、大きな感銘を受けました。よりよい医療・看護を実践するためには、きちんと教育された看護師の必要性を強く感じたのです。その後、帰国して日本初の看護婦教育所を開設。ここに、日本で最初の、そして慈恵における看護教育が始まったのです。以降、私たちはナイチンゲールの教えと誇りを胸に、看護の原点に根ざした質の高いケアを提供し続けています。
*写真左:若き頃のF.ナイチンゲール
*写真右:「看護婦教育所記念碑」1885年(明治18年)指導者に米国看護師ミスM・E・リードを招き、本格的な看護師教育を始めた。
慈恵看護教育が目指す看護職者像があります
慈恵では、英国セントトーマス病院医学校留学から帰国した髙木兼寛がナイチンゲール看護婦教育を受けた米国人宣教看護婦ミス・エム・イー・リード(M.E.Reade)女史を招いて1885年(明治18年)に看護教育を始めました。
1895年10月18日、時の外務大臣大隈重信氏が、暴徒の投げた爆弾のために右脚を負傷する事件が起きました。事件発生時、付近を通りかかった学祖髙木兼寛は、驚いて駆けつけ、治療にあたりました。足の切断手術後一命をとりとめたのちに、大隈氏が自宅療養する際に、東京慈恵医院看護婦教育所の看護婦生徒であった6回生4名が派出されました。その時の看護婦生徒の仕事ぶりについて夫人からお礼のお手紙をいただきました。
《…周到綿密細心誠意、医師の指示を得て
機を誤らず、病者の意を汲んで、
声なきに聞き、形なきに見て、その一挙一動が万事に行き届いていて、それも数十日の久しきにわたっている…》 (一部抜粋)
これは、慈恵の看護師のありたい姿と見事に合致しています。目に見えているものと目に見えないもの双方をまるごとみつめる、対象を全人的に看ることが慈恵看護の大切にしているものです。慈恵看護教育が始まって130年の節目となる平成27年(2015年)、改めて大隈重信夫人からいただいた言葉の重みをかみしめ、私たちは、看護教育の目標に「機を誤らず」「声なきに聞き」「形なきに見る」力を備えた看護実践者の育成を掲げました。
慈恵看護教育概念図
看護部の理念
建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」を基盤に、F.ナイチンゲールの考えに基づき「看護とは、生命力の消耗を最小にするよう生活過程を整えること」と捉え、患者さんをひとりの人間として尊重し、相手の立場にたった患者さん主体の看護を提供します。私たちは、専門職として、より質の高い看護を目指して自己研鑽に努め、医療・看護の発展に貢献します。